2007年08月16日 (木) | 編集 |
昭和を代表する洋画家、小磯良平(明治36年〜昭和63年)が戦時下、盟友に送った手紙など計38通が見つかり、神戸市立小磯記念美術館(同市東灘区)が15日、公開しました。手紙には「戦争画」のあり方を厳しく批判し、苦悩する心境が記されていました。小磯は生涯、戦時中の心境を語らなかったとされ、同美術館は「生々しい戦時下の心の叫びに光を当てる第一級の資料」としています。
小磯は昭和13〜18年に陸軍の委嘱で上海、ビルマなどに4度従軍。「娘子関を征く」「ビルマ独立式典図」などを描きました。しかし、戦後は戦争画の展示を断り、画集にも掲載しませんでした。
秘められた苦悩が記されていたのは、昭和19年12月31日付の手紙。薄い紙2枚の表裏計4面にびっしりと書かれていました。
「戦争画も純粋芸術と称する絵も同じく多少とも病気にかかっている。戦争画を悪口いう人たちの気持ちもよくわかるし、純粋芸術を悪く言うのもまたわかる。同じだ。皆どうしてよいのかしらないだけだ。知っていてもできないだけだ。(中略)今さらの重点的な戦争美術のタイコをヂャンヂャンたたいても何もならない」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070816-00000088-san-soci
心ならず描かされた絵に対する思いと、その自らの絵の影響力への苦悩が窺い知れる言葉でした。
小磯は昭和13〜18年に陸軍の委嘱で上海、ビルマなどに4度従軍。「娘子関を征く」「ビルマ独立式典図」などを描きました。しかし、戦後は戦争画の展示を断り、画集にも掲載しませんでした。
秘められた苦悩が記されていたのは、昭和19年12月31日付の手紙。薄い紙2枚の表裏計4面にびっしりと書かれていました。
「戦争画も純粋芸術と称する絵も同じく多少とも病気にかかっている。戦争画を悪口いう人たちの気持ちもよくわかるし、純粋芸術を悪く言うのもまたわかる。同じだ。皆どうしてよいのかしらないだけだ。知っていてもできないだけだ。(中略)今さらの重点的な戦争美術のタイコをヂャンヂャンたたいても何もならない」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070816-00000088-san-soci
心ならず描かされた絵に対する思いと、その自らの絵の影響力への苦悩が窺い知れる言葉でした。
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